最近は、遠くにいる人ともSkypeによって、話をすることが出来きるようになったために、バルナバタイム(コーチング)や会議をSkypeで行う機会が増えました。10月も、群馬県と神奈川県にいる牧師とのバルナバタイムや米国にいるA2のスタッフとのSkype会議などがありました。また、オーストラリアにいる息子の家族と1時間近くにわたって、楽しい会話をすることが出来ました。丁度、10月初旬に2週間ほど、その息子と上の孫息子(中学生)が、日本に一時帰国したののですが、彼らがオーストラリアに帰国した後、急に話したくなり、Skypeで話すことになったわけです。とにかく、Skypeは便利なツールです。
10月11日には、酒田の教会でYDKの牧師会が開かれました。酒田での牧師会は、毎年1回になっていますが、その教会の牧師がいろいろともてなして下さり、恐縮しました。
15日には、43年前から山形放送ラジオで放送されている「世の光」(月〜金、朝5時5分〜10分)のお話しの収録をしました。地域の牧師の話も放送したいとの企画で、来年1月以降に放送の予定とのことです。
16日は、YCFのセレブレイションでお話しをしました。
17日は、夜に山形市内の牧師会が持たれました。今回の会場は、数年ぶりに聖公会の教会でした。
20日には、私たち夫婦が学生時代に、聖書研究会で共に過ごした友人が、久しぶりに山形を訪問されたので、懐かしくまたたのしいひとときを過ごすことが出来ました。
21日には、茨城県水戸市で開かれた、茨城ミラクルネットワーク(教会増殖ネットワーク)の集会に参加しました。その時に、私が40年前に水戸の教会で奉仕していた時に、教会員だった方と再会でき、これも懐かしく、また、教会開拓のために熱心にチャレンジしておられることを主に感謝しました。次の日の22日には、相模原市の教会で、相模原教会増殖ネットワークの説明会が持たれました。ここでも、ネットワークがスタートできそうなので、感謝しています。
23日には、鈴川キリスト教会でお話ししました。
25日には、宮城県山元町に出かけました。この町も東日本大震災で、地震や津波の被害を受けた町です。役場の建物も地震の被害を受けて使えなくなり、いまは仮庁舎で仕事がなされています。あまり、報道されることも少なく、取り残されているようだと言われているところですが、宮城県や山形県の教会から支援がなされています。そこの地域でどのように復興に向けて働きを進めることが出来るか、視察し祈るための訪問でした。
28日には、CGNTVの2回分のメッセージ収録をしました。
30日には、YCFで音楽宣教師の米田ひろしさんを迎えてのホームコンサートと芋煮会をしました。この集会には、ご近所に住んでおられるご夫妻がはじめて参加して下さり、感謝しました。
11月1日には、仙台で宮城宣教ネットワークの地域世話人の方々の集まりがあり、このネットワークが各地域で、次第に広まっている様子を知ることが出ました。
7日は、JCGIの働きのスタッフ打ち合わせのために兵庫県尼崎市に来ました。東日本大震災以後はじめて、仙台空港の駐車場に車を置いて来ました。何となくドキドキしています。これから山形に帰ります。
2011年11月7日月曜日
2011年10月4日火曜日
9月後半のこと
9月後半も、いろいろな事がありました。19日(敬老の日)には、米沢のミーコ記念ホールで、CBファミリーフェスタが行われました。今回は東日本大震災で被災されたけれども、そこから立ち上がった方々の証と、佐藤彰先生(福島第1聖書バプテスト教会牧師)のお話しがありました。大変お大きな被害にもかかわらずそこから立ち上がっておられる方々の証しに大きな励ましをいただきました。この集会には各地から400名を越える方々が集まりました。
20日から23日までは、A2のアジア地区の会議があり、シンガポールに出かけました。なんと、その中間の日の会議が終わってから、ナイトサファリの観光プログラムが設定されていて楽しんできました。シンガポールは、丁度、F1のレースが市内で予定さているとのことで、あちらこちらで交通が制限されていて、大変な混雑でした。
23日に帰国し、24日には、午前と午後に神奈川県の教会で、バルナバミニストリーの研修を行いました。
25日は、鈴川キリスト教会の礼拝でお話しをしました。26日には、被災地支援の打ち合わせで、宮城県に行き、28日には、東京のクラッシュの事務所に出かけました。
30日には、山形大学医学部慰霊祭がありました。今回は3年前に99歳で召されて、山形大学医学部に献体していた父の遺骨が返還されるとのことで、姉と共に参列しました。文部科学大臣からの感謝状も受け取ってきました。
2日は、YCFのセレブレイションで、ヨハネの手紙第1からお話しをしました。
3日には、札幌に移動して、20年以上前から親しくしている牧師のG先生が入院しておられると聞き、お見舞いに行ってきました。手術も無事に終えて、来る木曜日には退院されると言うことで、明るい笑顔でお話しが出来て良かったと思います。
4日には、北海道教会増殖ネットワークの牧師バルナバ会の継続集会にバルナバ役として参加しました。いろいろな状況の中で、みなさんが前向きに進んでおられることを感謝しました。
20日から23日までは、A2のアジア地区の会議があり、シンガポールに出かけました。なんと、その中間の日の会議が終わってから、ナイトサファリの観光プログラムが設定されていて楽しんできました。シンガポールは、丁度、F1のレースが市内で予定さているとのことで、あちらこちらで交通が制限されていて、大変な混雑でした。
23日に帰国し、24日には、午前と午後に神奈川県の教会で、バルナバミニストリーの研修を行いました。
25日は、鈴川キリスト教会の礼拝でお話しをしました。26日には、被災地支援の打ち合わせで、宮城県に行き、28日には、東京のクラッシュの事務所に出かけました。
30日には、山形大学医学部慰霊祭がありました。今回は3年前に99歳で召されて、山形大学医学部に献体していた父の遺骨が返還されるとのことで、姉と共に参列しました。文部科学大臣からの感謝状も受け取ってきました。
2日は、YCFのセレブレイションで、ヨハネの手紙第1からお話しをしました。
3日には、札幌に移動して、20年以上前から親しくしている牧師のG先生が入院しておられると聞き、お見舞いに行ってきました。手術も無事に終えて、来る木曜日には退院されると言うことで、明るい笑顔でお話しが出来て良かったと思います。
4日には、北海道教会増殖ネットワークの牧師バルナバ会の継続集会にバルナバ役として参加しました。いろいろな状況の中で、みなさんが前向きに進んでおられることを感謝しました。
2011年9月15日木曜日
この夏の活動(2)
8月中には、各地から懐かしい方々が訪問くださり、楽しい交わりの時を持つことが出来ました。
6日には、小さなおともだちのための「夏のお楽しみ会」を企画して楽しいひとときを過ごしました。
13日、14日には、平塚の教会で、バルナバミニストリーの研修会を持ちました。
8月後半は、9月6日にスタートを予定している、「宮城宣教ネットワーク」の準備のために多くの時間を使いました。
8月31日ー9月3日には、関東地区のJCGI研修が横浜で行われ、そこで奉仕しました。
9月4日にはYCFのビジョン・ミーティングが開かれ、今年の後半に向けて良い話し合いの時が持たれました。
9月6日には、「宮城宣教ネットワーク」の最初の集会が仙台バプテスト神学校を会場に開かれました。宮城県で被災地の支援をしている方々などが80名以上参加され、被災地の支援から霊的な復興に向けて互いに、情報を共有し、助け合い、励まし合うネットワークをスタートすることになりました。
12日から15日までは、大阪で西日本・東海地区の牧師研修がありました。
15日から17日までは沖縄の教会増殖ネットワークの牧師のバルナバ集会のために沖縄に出かけます。
6日には、小さなおともだちのための「夏のお楽しみ会」を企画して楽しいひとときを過ごしました。
13日、14日には、平塚の教会で、バルナバミニストリーの研修会を持ちました。
8月後半は、9月6日にスタートを予定している、「宮城宣教ネットワーク」の準備のために多くの時間を使いました。
8月31日ー9月3日には、関東地区のJCGI研修が横浜で行われ、そこで奉仕しました。
9月4日にはYCFのビジョン・ミーティングが開かれ、今年の後半に向けて良い話し合いの時が持たれました。
9月6日には、「宮城宣教ネットワーク」の最初の集会が仙台バプテスト神学校を会場に開かれました。宮城県で被災地の支援をしている方々などが80名以上参加され、被災地の支援から霊的な復興に向けて互いに、情報を共有し、助け合い、励まし合うネットワークをスタートすることになりました。
12日から15日までは、大阪で西日本・東海地区の牧師研修がありました。
15日から17日までは沖縄の教会増殖ネットワークの牧師のバルナバ集会のために沖縄に出かけます。
この夏の活動(1)
この夏は、あっという間に過ぎたように感じています。
7月の中旬(11日ー14日)には、大阪で、西日本・東海地区のJCGI研修のために出かけ、その後14日から18日まで、沖縄教会増殖ネットワークのバルナバ役として奉仕しました。
22日には、米国にいる孫娘(17歳)が、一人で日本に帰国したので、成田まで迎えに行きました。8月26日まで、日本に滞在して、キャンプ場の奉仕や震災のボランティアなどに出かけました。
24日には、鈴川教会の礼拝で奉仕しました。
25,26日はJCGIネットワークの指導者研修会のために川崎市に出かけました。
29日には、一時帰国していた、長男家族が、ペルーに出かけました。これから4年間リマの日系人教会で宣教師としての奉仕を継続します。
31日には、YCFで今年2回目のバプテスマ式が行われました。バプテスマを受けたSさんは、YCFの渋谷牧師夫妻が、親切に関わって下さり、信仰に導かれました。本当に感謝です。
7月の中旬(11日ー14日)には、大阪で、西日本・東海地区のJCGI研修のために出かけ、その後14日から18日まで、沖縄教会増殖ネットワークのバルナバ役として奉仕しました。
22日には、米国にいる孫娘(17歳)が、一人で日本に帰国したので、成田まで迎えに行きました。8月26日まで、日本に滞在して、キャンプ場の奉仕や震災のボランティアなどに出かけました。
24日には、鈴川教会の礼拝で奉仕しました。
25,26日はJCGIネットワークの指導者研修会のために川崎市に出かけました。
29日には、一時帰国していた、長男家族が、ペルーに出かけました。これから4年間リマの日系人教会で宣教師としての奉仕を継続します。
31日には、YCFで今年2回目のバプテスマ式が行われました。バプテスマを受けたSさんは、YCFの渋谷牧師夫妻が、親切に関わって下さり、信仰に導かれました。本当に感謝です。
2011年7月6日水曜日
通常通りに
東日本大震災から約4ヶ月になり、被災されたところはまだまだ回復の進まないところもありますが、私の奉仕はほぼ通常通りになりつつあります。YCFの奉仕もそうですが、JCGIネットワークの働きも、予定されていた活動が実施できるようになりました。
6月5日から8日には、三重県の鳥羽で、牧師のフォーラムが開催され、12の教会の牧師たちが集まり有意義な集会を持ちました。その後、私は沖縄に移動して、10日には沖縄教会増殖ネットワークの牧師集会に参加しました。帰りに11日の午後には、東京で私の弟の娘の結婚式に出席しました。最近のいろいろと演出された楽しい結婚式でした。
13日と14日は、宮城県の秋保温泉で、宮城県で被災された教会の牧師たちの心のケアの集会があり、この集会を企画した側として参加しました。15日から18日はJCGI関東地区牧師研修が開催され、横浜の教会に出かけました。この研修は2年目を迎えて後残すことわずかとなりました。
19日は、久しぶりで山形県の教会の講壇交換が行われ、私は南陽市の教会でお話ししました。
20日は、東京でアジアンアクセスの復興支援についての打ち合わせをしました。なんとか被災地の教会の支援とともにそれが地域の方々にイエス様の福音が伝えられるように支援していきたいと考えています。26日にはハンドン大学の創造セミナーが米沢の教会で行われて参加しました。
27日から29日までは、仙台の神学校でCBTEの研修会がありました。今回のテーマは、地域の平和と繁栄のために貢献する事でしたが、特に東日本大震災の支援を通して地域の復興と祝福のために貢献することが話し合われました。
30日には、CGNTVの山形県の牧師たちのメッセージの収録についての説明会がありました。8月頃から実現する予定です。
もう、7月に入りましたが、2日から上京して3日には相模原の開拓教会の開拓5年目の記念礼拝でお話ししました、そこで奉仕しておられるS牧師は、私と同じ山形出身です。開拓4年で祝福された群れとなっているのを見せていただき、主に感謝しています。
3日の夜には、札幌に移動して、4日には札幌にいるA2の宣教師たちと独立記念日のランチを共にして、5日には北海道教会増殖ネットワークの牧師たちの集まりに出席しました。この集会は3年間続いたネットワークの継続集会でしたが、それぞれの教会が、教会開拓のスピリットを持ち続けて奉仕しておられることを報告していただき大変励まされました。6日に山形に帰り、7日と8日は、宮城県で復興支援の話し合いがなされます。
6月5日から8日には、三重県の鳥羽で、牧師のフォーラムが開催され、12の教会の牧師たちが集まり有意義な集会を持ちました。その後、私は沖縄に移動して、10日には沖縄教会増殖ネットワークの牧師集会に参加しました。帰りに11日の午後には、東京で私の弟の娘の結婚式に出席しました。最近のいろいろと演出された楽しい結婚式でした。
13日と14日は、宮城県の秋保温泉で、宮城県で被災された教会の牧師たちの心のケアの集会があり、この集会を企画した側として参加しました。15日から18日はJCGI関東地区牧師研修が開催され、横浜の教会に出かけました。この研修は2年目を迎えて後残すことわずかとなりました。
19日は、久しぶりで山形県の教会の講壇交換が行われ、私は南陽市の教会でお話ししました。
20日は、東京でアジアンアクセスの復興支援についての打ち合わせをしました。なんとか被災地の教会の支援とともにそれが地域の方々にイエス様の福音が伝えられるように支援していきたいと考えています。26日にはハンドン大学の創造セミナーが米沢の教会で行われて参加しました。
27日から29日までは、仙台の神学校でCBTEの研修会がありました。今回のテーマは、地域の平和と繁栄のために貢献する事でしたが、特に東日本大震災の支援を通して地域の復興と祝福のために貢献することが話し合われました。
30日には、CGNTVの山形県の牧師たちのメッセージの収録についての説明会がありました。8月頃から実現する予定です。
もう、7月に入りましたが、2日から上京して3日には相模原の開拓教会の開拓5年目の記念礼拝でお話ししました、そこで奉仕しておられるS牧師は、私と同じ山形出身です。開拓4年で祝福された群れとなっているのを見せていただき、主に感謝しています。
3日の夜には、札幌に移動して、4日には札幌にいるA2の宣教師たちと独立記念日のランチを共にして、5日には北海道教会増殖ネットワークの牧師たちの集まりに出席しました。この集会は3年間続いたネットワークの継続集会でしたが、それぞれの教会が、教会開拓のスピリットを持ち続けて奉仕しておられることを報告していただき大変励まされました。6日に山形に帰り、7日と8日は、宮城県で復興支援の話し合いがなされます。
2011年6月5日日曜日
6月に入りました
東日本大震災から2ヶ月以上が過ぎて、もう6月に入りました。4月、5月は被災地への救援に思いと時間を使いながら過ごした感じです。これまでに5回ほど宮城、岩手の被災した地域に出かけました。行くたびに思わせられることは、今回の大震災の被害の大きさで圧倒されることです。このような中で、地域の教会の方々が懸命に救援活動を続けておられ事に感動します。
今回被災した太平洋沿岸地域は教会が大変少ない地域でした。また、そこにある数少ない教会も、規模の小さい教会がほとんどです。そのような中で地域の支援活動に労しておられることはすばらしいことだと思いました。また、全国各地の教会から、また世界中の教会から支援の手がさしのべられています。その勢いは圧倒的で、時として地域の教会には、支援の津波に押し流されると感じさせてしまうこともあるようです。
現地で、支援活動のコーディネーターをしてくださっている先生は、現地の人々の思いと関係なく推し進めたれる自己満足的な支援もみうけられるので、謹んでほしいと訴えておられました。
私は、このときになんとか今回被災した地域に、新しい教会(イエス様の愛に結ばれた共同体)が多く生み出されるようにと祈っています。
今回被災した太平洋沿岸地域は教会が大変少ない地域でした。また、そこにある数少ない教会も、規模の小さい教会がほとんどです。そのような中で地域の支援活動に労しておられることはすばらしいことだと思いました。また、全国各地の教会から、また世界中の教会から支援の手がさしのべられています。その勢いは圧倒的で、時として地域の教会には、支援の津波に押し流されると感じさせてしまうこともあるようです。
現地で、支援活動のコーディネーターをしてくださっている先生は、現地の人々の思いと関係なく推し進めたれる自己満足的な支援もみうけられるので、謹んでほしいと訴えておられました。
私は、このときになんとか今回被災した地域に、新しい教会(イエス様の愛に結ばれた共同体)が多く生み出されるようにと祈っています。
2011年3月28日月曜日
主の守りの中で
3月も、終わりに近づきましたが、この月はいろいろなことがありました。
1日に関西から山形帰り、2日には神戸から来客があり、山形をすこしばかりご案内しました。
6日には、YCFのセレブレイションでお話しをしました。午後にはYCFのスタッフ会を開き来年度に備えました。7日の夜には、山形市内の牧師会で、この年度末で2人の牧師が山形を離れることとなりその歓送会となりました。8日は、山形県内の牧師の同労者会でした。
10日から14日までは、例年この時期に軽井沢で開かれるアジアンアクセスのリトリートに、家内と娘と共に参加しました。ところが2日目の11日午後2時46分に、東北関東大震災が起こったのです。軽井沢も大きく長い時間(3分間くらい?)揺れました。集会中でしたが、全員外に出ました。会場の暖房のために使っているガス管の点検が済むまで、1時間くらい一箇所におりましたが、東北の地震と津波のニュースに大変衝撃を受けました。何とか、山形に連絡が取れて、みな、無事と確認がとれましたので、そのような中でも、リトリートは14日の最後まで続けることが出来ました。最初の予定では、家内と娘は、12日(土)に山形に帰る予定でしたが、新幹線が止まってしまい帰れなくなりました。14日になっても東北新幹線は回復せず、幸い、長野新幹線は回復しましたので、唯一山形に帰る方法は、羽田から山形空港か庄内空港に行き、バスで山形に帰ることでした。羽田から山形に行く便は、臨時便も出ているとのことでしたが、インターネットでの予約が出来ません。そこで、羽田から庄内空港に飛んで山形に帰ることにしました。家内と娘の庄内便の予約が出来たのは、16日(火)の便でした。結局、二人は羽田の近くのホテルに2泊することになりました。16日も余震がたびたびありましたが、無事に庄内空港に飛んで、
庄内空港で待ち受けていた、山形行きの臨時の直通バスで山形に帰ることが出来ました。
私は、14日に成田から、ベトナムのホーチミンに出かける予定でした。アジアンアクセスのアジア地区代表者会が予定されていたからです。軽井沢から東京までは順調でしたが、成田行きの電車はすべて止まっていました。東京駅から成田行きのリムジンバス乗り場は、気が遠くなるほど多くの人が長い列を作っていました。そこで、とっさに思いついたのが、羽田空港に行くことです。羽田からなら成田行きのリムジンバスが運行しているのではないかと思ったからです。私と一緒に、軽井沢から成田に向かう一行は12名です。羽田に向かうと、成田行きのリムジンが通常通りに運行していました。12名が同じリムジンに乗ることが出来ませんでしたが、後発が20分後ということで、出発が早い6名と時間に余裕がある6名に別れて、成田空港に到着しました。全員予定のフライトに乗ることが出来、感謝しました。
家内と娘が山形に帰ってみると、山形では、地震で物が落ちて散乱したりしましたが、皆安全に守られていました。ただ、地震の後3日ほど、停電が続き、ガソリンや灯油、電池などは全く手に入らず、大変な時が続いたということです。
さて、ベトナムでは、アジア各国の代表者たちは、早速、日本の大震災のために特別の祈りの時をもってくださいました。本当に感謝しました。
私は、19日(土)に日本に帰国しました。当初は、山形に帰る予定でしたが、新幹線がまだ動いていないことと、21日から関西での予定があったので、東京に一泊して、20日の礼拝は、御徒町の教会に出席しました。午後には、大阪に移動し、大阪のホテルを拠点として、21日(月)には、京都での集会に参加、22日(火)には広島での集会に出かけました。23日には、伊丹空港から羽田空港経由で新千歳空港に移動しました。26日に予定されていた、札幌での教会増殖ネットワークの集会に参加するためです。23日から27日まで、そのネットワークに参加している教会のゲストルームを使わせていただきました。26日の集会は、70名以上の方々が参加する祝福された集会となりました。
27日の午前は、お世話になった教会の礼拝に出席し、午後には、新千歳空港の近くのホテルに移動しました。28日(月)は東京でJCGIの理事会が予定されていて、朝一番のフライトで羽田に向かうためです。理事会では、特に今回の大震災に対する支援についてなど様々なことに真剣な話し合いがなされました。理事会後に羽田から庄内空港に帰りました。夜10時近くに鶴岡のホテルに入りました。29日、高速バスで約3週間ぶりで山形に帰りました。
1日に関西から山形帰り、2日には神戸から来客があり、山形をすこしばかりご案内しました。
6日には、YCFのセレブレイションでお話しをしました。午後にはYCFのスタッフ会を開き来年度に備えました。7日の夜には、山形市内の牧師会で、この年度末で2人の牧師が山形を離れることとなりその歓送会となりました。8日は、山形県内の牧師の同労者会でした。
10日から14日までは、例年この時期に軽井沢で開かれるアジアンアクセスのリトリートに、家内と娘と共に参加しました。ところが2日目の11日午後2時46分に、東北関東大震災が起こったのです。軽井沢も大きく長い時間(3分間くらい?)揺れました。集会中でしたが、全員外に出ました。会場の暖房のために使っているガス管の点検が済むまで、1時間くらい一箇所におりましたが、東北の地震と津波のニュースに大変衝撃を受けました。何とか、山形に連絡が取れて、みな、無事と確認がとれましたので、そのような中でも、リトリートは14日の最後まで続けることが出来ました。最初の予定では、家内と娘は、12日(土)に山形に帰る予定でしたが、新幹線が止まってしまい帰れなくなりました。14日になっても東北新幹線は回復せず、幸い、長野新幹線は回復しましたので、唯一山形に帰る方法は、羽田から山形空港か庄内空港に行き、バスで山形に帰ることでした。羽田から山形に行く便は、臨時便も出ているとのことでしたが、インターネットでの予約が出来ません。そこで、羽田から庄内空港に飛んで山形に帰ることにしました。家内と娘の庄内便の予約が出来たのは、16日(火)の便でした。結局、二人は羽田の近くのホテルに2泊することになりました。16日も余震がたびたびありましたが、無事に庄内空港に飛んで、
庄内空港で待ち受けていた、山形行きの臨時の直通バスで山形に帰ることが出来ました。
私は、14日に成田から、ベトナムのホーチミンに出かける予定でした。アジアンアクセスのアジア地区代表者会が予定されていたからです。軽井沢から東京までは順調でしたが、成田行きの電車はすべて止まっていました。東京駅から成田行きのリムジンバス乗り場は、気が遠くなるほど多くの人が長い列を作っていました。そこで、とっさに思いついたのが、羽田空港に行くことです。羽田からなら成田行きのリムジンバスが運行しているのではないかと思ったからです。私と一緒に、軽井沢から成田に向かう一行は12名です。羽田に向かうと、成田行きのリムジンが通常通りに運行していました。12名が同じリムジンに乗ることが出来ませんでしたが、後発が20分後ということで、出発が早い6名と時間に余裕がある6名に別れて、成田空港に到着しました。全員予定のフライトに乗ることが出来、感謝しました。
家内と娘が山形に帰ってみると、山形では、地震で物が落ちて散乱したりしましたが、皆安全に守られていました。ただ、地震の後3日ほど、停電が続き、ガソリンや灯油、電池などは全く手に入らず、大変な時が続いたということです。
さて、ベトナムでは、アジア各国の代表者たちは、早速、日本の大震災のために特別の祈りの時をもってくださいました。本当に感謝しました。
私は、19日(土)に日本に帰国しました。当初は、山形に帰る予定でしたが、新幹線がまだ動いていないことと、21日から関西での予定があったので、東京に一泊して、20日の礼拝は、御徒町の教会に出席しました。午後には、大阪に移動し、大阪のホテルを拠点として、21日(月)には、京都での集会に参加、22日(火)には広島での集会に出かけました。23日には、伊丹空港から羽田空港経由で新千歳空港に移動しました。26日に予定されていた、札幌での教会増殖ネットワークの集会に参加するためです。23日から27日まで、そのネットワークに参加している教会のゲストルームを使わせていただきました。26日の集会は、70名以上の方々が参加する祝福された集会となりました。
27日の午前は、お世話になった教会の礼拝に出席し、午後には、新千歳空港の近くのホテルに移動しました。28日(月)は東京でJCGIの理事会が予定されていて、朝一番のフライトで羽田に向かうためです。理事会では、特に今回の大震災に対する支援についてなど様々なことに真剣な話し合いがなされました。理事会後に羽田から庄内空港に帰りました。夜10時近くに鶴岡のホテルに入りました。29日、高速バスで約3週間ぶりで山形に帰りました。
2011年3月1日火曜日
各地での奉仕
私は、JCGIでの奉仕もしています。今年の4月から、西日本・東海地区の牧師研修が始まります。関西地区での7回目の研修となります。このたびも12教会の方々が研修に参加されることになり、去 る2月15日に新神戸でオリエンテイションが開かれました。参加者の方々の初めての顔合わせですが、和やかな雰囲気でした。また、皆さんの意欲を感じる集会となりました。
17日からは、沖縄に出かけました。18日に沖縄教会増殖ネットワークの牧師バルナバ会が開かれたからです。このネットワーク に参加して教会開拓にチャレンジしている伝道所が、昨年会堂として借りて集会をしているところで初めての牧師バルナバ会でした。昨年会場探しをしていると きに、みんなで共にお祈りして与えられたところで、集まることができ感激でした。
19日には、オーストラリアのメルボルン日本人教会の牧師先生とSkypeで、セルグループ導入についてお話ししました。
20日は、沖縄教会増殖ネットワークに参加している1つの教会の礼拝の奉仕をしました。午後には教会増殖ネットワークについて説明する時間も作ってくださいました。集会後は牧師ご夫妻や教会の方々といろいろとお話しすることが出来て、本当に良かったと思います。
21日は、沖縄から神戸に移動しました。初めて神戸の港を散策することが出来ました。22日は、三田市に住むA2の宣教師とその宣教外共に奉仕しているリーダーの方とお会いして、大変有意義な話し合いをすることが出来ました。
27日は、鈴川キリスト教会の礼拝でお話ししました。いつものように役員会と教会学校教師会に参加しました。
28日には、尼崎市の教会を会場にお借りして、JCGIスタッフの話し合いの時を持ちました。JCGIのこれからの活動について、良い話し合いが出来ました。
17日からは、沖縄に出かけました。18日に沖縄教会増殖ネットワークの牧師バルナバ会が開かれたからです。このネットワーク に参加して教会開拓にチャレンジしている伝道所が、昨年会堂として借りて集会をしているところで初めての牧師バルナバ会でした。昨年会場探しをしていると きに、みんなで共にお祈りして与えられたところで、集まることができ感激でした。
19日には、オーストラリアのメルボルン日本人教会の牧師先生とSkypeで、セルグループ導入についてお話ししました。
20日は、沖縄教会増殖ネットワークに参加している1つの教会の礼拝の奉仕をしました。午後には教会増殖ネットワークについて説明する時間も作ってくださいました。集会後は牧師ご夫妻や教会の方々といろいろとお話しすることが出来て、本当に良かったと思います。
21日は、沖縄から神戸に移動しました。初めて神戸の港を散策することが出来ました。22日は、三田市に住むA2の宣教師とその宣教外共に奉仕しているリーダーの方とお会いして、大変有意義な話し合いをすることが出来ました。
27日は、鈴川キリスト教会の礼拝でお話ししました。いつものように役員会と教会学校教師会に参加しました。
28日には、尼崎市の教会を会場にお借りして、JCGIスタッフの話し合いの時を持ちました。JCGIのこれからの活動について、良い話し合いが出来ました。
2011年2月12日土曜日
2月に入って
二月も半分が過ぎようとしています。日本各地には、大雪のニュースが流れていますが、山形市は例年並みの積雪量です。
4日には、ペルーから長男一家が一時帰国しました。約6か月日本に滞在して、ペルーでの活動報告をして、巡回する予定です。
2人の孫たちも、高校生と中学生になり、日本に滞在している時は、インターネットによるホームスクーリングで勉強をすることになりました。
13日は、早速、YCFでの活動報告の予定です。
私のJCGIの奉仕は、来週から各地で始まります。また、出かけることが多くなります。
4日には、ペルーから長男一家が一時帰国しました。約6か月日本に滞在して、ペルーでの活動報告をして、巡回する予定です。
2人の孫たちも、高校生と中学生になり、日本に滞在している時は、インターネットによるホームスクーリングで勉強をすることになりました。
13日は、早速、YCFでの活動報告の予定です。
私のJCGIの奉仕は、来週から各地で始まります。また、出かけることが多くなります。
2011年1月17日月曜日
2011年の始まり
暮れから風邪を引いてしまい、ゆっくりしていました。しかし、元旦礼拝は、顧問牧師をしている鈴川キリスト教会に出てお話をしたのですが、途中で咳き込んでしまい、皆さんに心配をおかけしてしまいました。
2日は、午前のYCFのセレブレイションだけに出て、午後に予定されていた、山形福音伝道隊の新年聖書学校は失礼してしまいました。
数日して風邪の方もだいぶ良くなりましたので、7日には沖縄の教会増殖ネットワークの集会に出かけました。昨年から新しい教会堂を準備していたS教会の新会堂で、ネットワークに参加している教会の方々が皆さん集まり、この会堂で初めて集会がもてたことを感謝しながら、ネットワーク集会を持ちました。
8日から、新潟に移動しました。9日は、北区のT教会の礼拝でお話しして、10日は、その教会の所属する教団の新年聖会で話しました。
この地域でとても良い働きをしておられると感銘を受けました。
新潟と山形が身近に感じるようになりました。
2日は、午前のYCFのセレブレイションだけに出て、午後に予定されていた、山形福音伝道隊の新年聖書学校は失礼してしまいました。
数日して風邪の方もだいぶ良くなりましたので、7日には沖縄の教会増殖ネットワークの集会に出かけました。昨年から新しい教会堂を準備していたS教会の新会堂で、ネットワークに参加している教会の方々が皆さん集まり、この会堂で初めて集会がもてたことを感謝しながら、ネットワーク集会を持ちました。
8日から、新潟に移動しました。9日は、北区のT教会の礼拝でお話しして、10日は、その教会の所属する教団の新年聖会で話しました。
この地域でとても良い働きをしておられると感銘を受けました。
新潟と山形が身近に感じるようになりました。
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